宇治平等院表参道茶のかおり (かおり風景100選 Part57)

香り空調システム

香りのブログ

宇治平等院表参道茶のかおり (かおり風景100選 Part57)

こんにちは。
今日は「かおり風景100選」近畿地方の4か所目のご紹介です。

【 宇治平等院表参道茶のかおり  】

宇治には平安時代の代表的建築物である平等院鳳凰堂あり、そこを訪れる観光客を表参道沿いの店が焙じる香ばしいお茶のかおりが出迎えています。毎年10月上旬には「宇治の茶まつり」が行われているそうです。

 

 ◇所在地 / 京都府宇治市
 ◇香りの源 / 茶
 ◇季節 / 一年中



Byodo-in temple 平等院鳳凰堂_22 / ajari


< 平等院 >

宇治市は京都府の南部に位置し、世界遺産ともなっている平等院をはじめ、宇治上神社や宇治茶などで知られています。また、源氏物語「宇治十帖」の舞台としても有名で、平安時代初期から貴族の別荘があった所です。関白藤原道長がその別荘の一つを譲り受け「宇治殿」とし、後に子の頼通が1052年(永承7年)に宇治殿を寺院に改め、「平等院」としました。その翌年の1053年(天喜元年)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が建てられ、堂内には阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたと言われています。約1000年前に建立された建造物や仏像、絵画、庭園などをが今日に伝えられ、1994年に世界遺産に登録されました。また、日本の10円硬貨には平等院鳳凰堂が、一万円紙幣には鳳凰堂の屋根上に飾られている鳳凰がデザインされています。

 

< 宇治茶 >

宇治茶の歴史は鎌倉時代に遡り、当時は本茶と呼ばれた「栂尾の茶」に対し、「非茶」と呼ばれていたそうです。その後宇治七銘園が拓かれ、宇治は天下一の茶産地となり、栂尾に代わり本茶の地位を固めるようになりました。以降、足利・織田・豊臣・徳川と時の権力者たちに愛飲されてきました。江戸時代になると、幕府に献上する宇治茶を江戸城へ運ぶため宇治採茶使が遣わされました。俗に「茶つぼ行列」「御茶壺道中」と呼ばれていたそうです。この茶壺道中は五摂家や宮門跡に準じる権威の高いもので、茶壺が通行する際には、大名であっても駕籠を降りなければならず、また、街道沿いの村々では掃除が命じられたり、田畑の耕作が禁じられたほどです。「ズイズイ ズッコロバシ ごまみそズイ 茶壺におわれて ドッピンシャン ぬけたら ドンドコショ」――このわらべうたは、田植えで忙しい百姓たちが、この茶壺道中を風刺した歌といわれています。 幕末の頃には、維新の変革により将軍家と宇治茶師との関係が絶え、さらに茶道も一時衰退したこともあってお茶の需要が減少したそうです。明治初期、宇治市・京都市周辺には、京都府の約半分の1300ヘクタールの茶園があったそうですが、時代の経過と共に茶園面積は減少の一途をたどり、現在宇治市内には100ヘクタールを下回る状況にあります。それでも宇治のお茶は、品質において現在でも日本一であることは>全国の茶品評会等で証明されています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加